
羅羅屋50年のあゆみ
創業と初期の歩み(1974年〜1980年代前半)
羅羅屋(ブランド名「ララちゃんランドセル」)の歩みは、1974年8月23日、東京都港区芝浦の小さなオフィスから始まりました。社名である「羅羅(ララ)」はイタリア語で「希少なもの」を意味し、「他にはない価値あるモノ・サービスをつくろう」という創業精神を象徴しています。
羅羅屋は創業当初、創業者7名で起業しました。営業が幼稚園や保育園に直接足を運び、父母会(保護者)との信頼関係を築きながら団体購入を提案する販売スタイルを確立しました。幼稚園のバザーでランドセルを展示・販売する機会も設け、1974年12月24日のクリスマスイブには、ある幼稚園のバザーで初めての展示販売会を開催。実際に手に取ってもらうことで多くの意見や要望を吸い上げ、それを次の製品づくりへと生かしていきました。当初は限られた地域での販売でしたが、こうした地道な活動が徐々に評判を集め、羅羅屋の企画・提案は人気を博するようになりました。
ブランド誕生と革新的な挑戦(1981年〜1980年代)
創業から7年後の1981年、羅羅屋は自社ランドセルの愛称として「ララちゃんランドセル」を正式に掲げ、本格的な専門ブランドとして歩み始めました。同時期に、当時としては画期的な取り組みを次々と実施します。まず、日本で初めて「オーダーメイドランドセル」を導入し、色やデザインを親子で自由に選べるカスタムメイド方式を開始。これまで男の子向けは黒、女の子向けは赤が当然だった時代に、黒・赤以外の多彩なカラーを展開し、子どもの個性を尊重する革新的な方針を打ち出しました。
こうした挑戦の背景には、幼稚園や保育園での販売会を通じて直接集めた保護者の声がありました。「もっと明るい色が欲しい」「兄弟で色を揃えたい」などの要望をもとに、多彩なカラーバリエーションやオーダーメイド制度を導入。職人と相談しながら細かい仕様を決めるスタイルは、まだ大量生産が主流だった当時としては大胆な一歩でした。初年度のオーダーメイド受注は81個にとどまりましたが、新しい取り組みにもかかわらず手応えを得た羅羅屋は、口コミやリピーターの紹介を通じて徐々に支持を拡大。百貨店や地域のバザーへの出店などを通じて、「ララちゃんランドセル=オーダーメイド」というブランドイメージを確立していきました。
自社工場の設立と事業拡大(1990年代)

1990年代に入ると、さらなる品質向上と安定供給をめざし、羅羅屋は自社によるランドセルの製造に乗り出します。創業以来、提携工房や職人に生産を委託してきましたが、製造工程を社内に取り込むことで品質管理を一段と強化。1997年に埼玉県川口市の事業所内に製造部門を新設し、手仕事の技術を社内に根付かせながら、新素材や新機能の開発にも挑戦できる体制を整えました。
川口での製造開始当初は試行錯誤が続きましたが、1999年頃から本格的に量産体制を確立し、生産効率と品質の両面で飛躍的な進化を遂げます。当時、日本全体で少子化が進みつつある中、「高品質で付加価値の高いランドセル」を追求した羅羅屋は業績を伸ばし、軽量かつ丈夫な人工皮革や新型背カン(背負い金具)など、技術面の革新にも投資。電話やカタログ通販に対応し、遠方からのオーダーメイド注文に応えるなど販路拡大にも努めました。これらの取り組みによって受注数は飛躍的に増加し、創業当初81個だった年間受注が1990年代後半には数万個規模にまで成長。現在までに累計100万人以上の子どもたちにランドセルを届けています。
ランドセル事業の成長戦略と技術革新(2000年代)

2000年代に入ると、ランドセル業界全体で機能革新競争が本格化。羅羅屋も老舗メーカーとして培った技術力を生かし、独自開発の5層構造人工皮革「ベルビオ・5」をはじめ、防水性・耐傷性を高める素材やA4クリアファイル対応の大容量サイズなど、時代のニーズに合った改良を続けました。
一方で少子化の進行により、他社もカラフル・多機能なモデルを相次いで投入し、競争は激化。そこで羅羅屋は、創業時からの強みである「オーダーメイド」と「直接販売の丁寧さ」をより深める戦略を採用。全国の百貨店やイベントへの出展を拡大して実物を見ながらカスタム注文できる場を整備し、インターネットを活用した情報発信と問い合わせ対応を強化して、遠方からでも注文しやすい環境を整えました。背負いやすさを追求したマジック構造の肩ベルトなどの開発技術は特許も取得し、唯一無二の快適性と耐久性を実現しています。
さらに有名キャラクターやブランドとのコラボモデルにも挑戦し、限定デザインのランドセルをリリース。話題性が高く、新規顧客の獲得やブランド認知度向上にも大きく貢献しました。
東日本大震災と会津工場の開設(2011年〜2012年)

2011年3月の東日本大震災をきっかけに、首都圏の災害リスクや計画停電などを経験した羅羅屋は、生産拠点の分散と強化を検討。震災直後の苦しい状況下で、福島県会津若松市への工場新設を決断しました。2012年8月、会津若松市河東町の工業団地に大規模な自社工場を開設し、地元自治体の支援も得ながら生産体制を二拠点化。川口本社と合わせた新たな供給体制が整い、BCP(事業継続計画)の強化にもつながります。
会津工場は“魅せる工場”として一般見学を受け入れ、子どもたちや保護者が生産工程を間近に体験できる場を提供。未経験の地元スタッフを積極採用し、職人OBによる研修で技能継承にも取り組みました。震災直後の福島に進出し、雇用を生み出す姿勢は地元からも高く評価され、羅羅屋は「地域との共生」を具体的に実践する企業としての地位を確立していきます。
新たな展開と社会への取り組み(2013年〜2019年)

2010年代後半、創業50周年を見据えた新たな展開が加速します。まず販売チャネルの拡大として、首都圏以外への直営店進出を開始。2018年には西日本初となるショールーム「ララちゃんランドセル 大阪なんばパークス店」をオープンし、実際にオーダーメイドの組み合わせを体感できる機会を提供しました。組み合わせパターンは200億通り以上にも及び、子どもが自分らしいランドセルを見つける楽しさが大きな魅力となっています。
機能面では2019年モデルから脱着式肩ベルトパッド「マジかるベルト」を開発・導入。肩への負担を軽減するだけでなく、カラフルなデザインでランドセルのアクセサリーとしても人気を博しました。さらに、3Dシミュレーションによるオンラインオーダーシステムを導入し、インターネット上でカラーやパーツを組み合わせながら完成イメージを確認できることから、地方や忙しい家庭でも気軽に楽しくランドセルのオーダーメイドを利用できるようになりました。
社会貢献活動としては、地元イベントや教育支援への協力に加え、ランドセルのリサイクルや海外寄贈プロジェクトへの参加などを実施。会津工場での社会科見学や工場見学会を通じて、子どもたちにものづくりの楽しさを伝える取り組みも続けています。
コロナ禍への対応と直近の戦略(2020年代)

2020年以降、新型コロナウイルス感染症の拡大による展示会中止や来店制限など、ランドセル市場も大きな変化を余儀なくされました。羅羅屋は早期から「おうちでラン活」と「青空展示会」を実施。密を避けながらもコミュニケーションを継続できる体制を整え、ブランドロイヤリティを保ちました。
衛生面のニーズに対応するため、2021年には抗ウイルス・抗菌加工を施したランドセルを業界に先駆けて発表。銀イオンや光触媒を組み合わせた素材開発により、毎日使うランドセルを清潔
に保つためのソリューションを提供しました。除菌スプレーや抗ウイルス仕様のマジかるベルトなど関連商品もあわせて展開し、保護者から高い評価を得ています。
そして2024年、ついに創業50周年を迎えた羅羅屋は、記念モデルや特別コラボ企画を次々と打ち出しました。スポーツブランド「adidas(アディダス)」との共同開発による「アディダス エナジー ランドセル」は、ウェットスーツ素材の肩ベルトや反射材デザインを融合させた画期的な一品。会津若松工場では50周年感謝祭を開催し、最新モデルの展示や職人実演、福島の伝統工芸とのコラボ企画などで多くの来場者を迎えました。虹をモチーフにした限定ランドセルは「震災からの復興と未来への希望」の象徴として注目を浴び、多くの子どもたちの笑顔とともに報道されています。
未来へ向けて

創業以来、羅羅屋が大切にしてきたのは「世界に一つだけのランドセルを最高の形で届ける」という想いです。父母会への直接販売から始まったきめ細かな顧客対応、オーダーメイドで子どもの個性を尊重する姿勢、そして地域や社会との共生を目指す活動の数々。これらの積み重ねによって、50年という長い年月をかけてブランドを育んできました。
少子化や社会環境の変化の中でも、羅羅屋は新たな技術とサービスの開発を通じて「ランドセル文化」を守り、未来へと受け継いでいきます。創業の地・芝浦から川口、そして会津へと拠点を広げながら培ってきた伝統と革新。その歩みは、これからも子どもたちの笑顔を支え続ける原動力となるでしょう。
年表
年 (昭和/平成/令和) |
主な出来事・トピック |
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1974年(昭和49) | ニクソンショック、オイルショックの中、8月23日に東京都港区芝浦にて株式会社羅羅屋設立。ランドセル販売会社として営業開始。「羅羅(ララ)」の社名はイタリア語で「希少なもの」の意。 12月、幼稚園バザーで初のランドセル展示販売を実施。 |
1981年(昭和56) | 「ララちゃんランドセル」ブランド名でランドセル販売開始。日本初のオーダーメイドランドセルを導入し、多色展開(黒・赤以外のカラー)を開始。創業当初の年間受注は81個。 |
1980年代後半 | 幼稚園・保育園での展示販売を全国に展開。口コミで評判が広がり、受注数が大幅増加。ランドセルの軽量化や耐久性向上のための素材改良にも着手。 |
1997年(平成9) | 埼玉県川口市の事業所内に製造部門を設立。自社工場でのランドセル生産を開始し、製造・販売一貫体制へ移行。 |
1999年(平成11) | 川口本社工場での本格生産開始。職人の技術を社内に集約し、生産規模を拡大。ランドセル品質の統一と安定供給を実現。 |
2000年代前半 | ランドセル業界全体でA4ファイル対応や多機能化が進む。羅羅屋も独自人工皮革「ベルビオ・5」採用など品質向上策を推進。オーダーメイド受注が累計50万本を超える。 |
2000年代後半 | カタログ通販やネット注文受付を整備。限定コラボモデルの発売など販売戦略を多様化。ランドセルの刺繍デザインやパーツも多彩に。少子 化の中でも売上堅調。 |
2011年(平成23) | 3月、東日本大震災発生。川口本社工場は軽微な被害も、生産拠点分散の必要性を痛感。震災を契機に福島県への工場新設を検討開始。 |
2012年(平成24) | 8月、福島県会津若松市に新工場設立。震災後の福島で企業誘致を活用し大型工場を建設。見学設備を備えた「魅せる工場」として稼働開始(従業員約80名で操業)。以降、生産の大半を会津工場にシフト。 |
2016年(平成28) | ウェブ上でランドセルを3Dカスタマイズできるオーダーシミュレーションシステムを業界に先駆け導入。遠方の顧客にもオーダーメイドを提供可能に。 |
2018年(平成30) | 4月、西日本初となる直営ショールーム「ララちゃんランドセルなんばパークス店」(大阪市)オープン。オーダーメイド組み合わせ32億通り以上をPRし、新規顧客層を開拓。 |
2019年(令和元) | 「マジかるベルト」(脱着式肩ベルト)登場。80種類以上のバリエーション展開で背負い心地を革新。SNSを活用した商品PRも強化。 |
2020年(令和2) | 新型コロナウイルス流行により、「おうちでラン活」を本格展開。「青空展示会」などコロナ禍の受注体制を整備。 |
2021年(令和3) | 抗ウイルス・抗菌加工ランドセルを発売。ハイブリッド光触媒技術でウイルス99%抑制の素材を採用し、業界初の試みとして注目。ランドセル用除菌スプレーも同時発売。 |
2023年(令和5) | 9月、創業50周年記念サイト公開。期間限定の特別カラーオーダーや記念モデル「スターレインボー」など発表。アディダスとのコラボランドセル「adidas Energy」を発表(翌年モデル)。 |
2024年(令和6) | 創業50周年を迎える。6月、会津若松工場で50周年感謝祭イベント開催。虹をモチーフにした記念ランドセルを先行販売。累計納入ランドセル数100万本を突破。今後に向け、次世代ランドセルの開発や海外展開も視野に、更なる挑戦を続けている。 |